全大阪幼少年美術展について
全大阪幼少年美術展は、昭和39年度に第1回展を開催以来、現在に至ります。
本展覧会の応募作品数は、過去には13万点以上の応募点数を超える作品が集まり、現在は11万点前後の応募があります。応募校園数は760以上にものぼる全国有数の公募展となっている。
全大阪幼少年美術展の歴史
全大阪幼少年美術展の歴史については、西本繁夫氏による「日本の美術教育発達史」(明治図書)に第26回展まで、また、「続日本の美術教育発達史 全大阪幼少年美術展の開催 第二部」に、第27~30回展の詳細が、全大阪幼少年美術振興会理事長津江孝夫氏によりまとめられているため、両著書等から紹介させていただく。
【全大阪幼少年美術展開催の経緯等】
大阪では、かねてより美術教育に熱心な地盤があり、作品は「大阪図画」と言われ、全国から注目されていた。特に全国大会(西日本大会)の主催地になり、優れた作品が、幼稚園・小学校・中学校の教室から生まれるようになっていた。特に、昭和35年頃から、作品の質が高くなり、識者の方々から注目を浴びる児童画が、大阪のあらゆる地域で創られるようになった。そのことは、「全国教育美術展」や「NHK全国図画コンクール」等にも大阪の入選作が多く、話題になっていた。
児童文化の向上に深い関心を寄せていた今宮戎神社宮司津江孝夫氏がこのことを知り、全大阪幼少年美術展の開催を考案し、当時、大阪学芸大学附属平野校園の後援会長をしていた関係で、花篤實(大阪学芸大学助教授)を通じて、西日本教育美術連盟理事長(大阪学芸大学教授)の高妻巳子雄氏と、西日本美術教育連盟事務局長(大阪市立清水丘小学校長)の西本繁夫氏に相談された。
当時、大阪府内の保育所・幼稚園・小学校・中学校からの幼児画・児童画・生徒作品の大展覧会の開催への機運が高まっており、西の教育美術振興会を目指して、「全大阪幼少年美術展」が行われることになった。今宮戎神社内に、今宮戎神社文化部を設置し、展覧会開催についての話し合いが行われた。
そして、「全大阪幼少年美術展規約」を定め、昭和39年度に第1回展を開催した。絵画・版画作品(題材自由、四つ切大)を募集し、学校賞・個人賞部門で入選作品を選出し、推奨・特選・佳作作品(計660点)を、松坂屋百貨店にて展覧会を開催した。鑑賞に訪れた人々は、15,000人以上という盛況ぶりで、パンフレットは皆無の状況であった。審査員は、大阪学芸大学教授河井達海氏をはじめ、大阪の美術教育に関する知名の先生方19人が担当した。
全大阪幼少年美術展が、第10回展に至るまでに極めて盛大になったことを受け、今宮戎神社宮司津江孝夫氏は、この展覧会が大阪における美術教育の振興と、美術文化の向上に大きな役割を果たすことができると考え、今宮戎神社文化部の組織を「全大阪幼少年美術振興会」とし、各方面から理解の深い文化人、知名人を迎え、理事、監事、評議員の合議により会の運営を行うことにした。ここに、大阪芸術大学の高妻巳子雄氏を会長、理事長を今宮戎神社宮司津江孝夫氏とする全大阪幼少年美術振興会規約が定められた。
以降、規約や、募集要項・審査員等の変遷はあるが、第50回展に至るまで盛大に開催されている。
なお、全大阪幼少年美術振興会事業の価値が認められ、平成4年5月3日には、全大阪幼少年美術振興会理事長津江孝夫氏が、社会教育功労者として中川和雄大阪府知事より表彰された。
現在の「全大阪幼少年美術振興会」は、理事長 津江明宏氏、会長 難波利三氏、副会長 花篤實氏、副理事長 山本啓介氏をはじめとする監事、理事、評議委員、事務局員、審査員、年度審査員等からなる組織で運営されている。「第50回記念全大阪幼少年美術展」として、個人部門において「第50回記念特別賞」が設けられた。
応募内容等について
- 出品内容は、絵画・版画作品の画用紙四つ切大とし、題材は自由とした。
- 第9回展からは、「個人別部門」だけでなく、学級全員の作品を応募する「学級別部門」を新設し、現在に至っている。
- 第15~17回展では、「校園別部門」を「A類」(遊びから生まれた作品、点や線による表現を主にした作品、はり絵を主にした作品、版による表現を主にした作品、用途をもったデザイン作品)と、「B類」(一般的な絵画作品)に分けて募集した。
- 第18回展からは、「個人別部門」を「A類」・「B類」と分類せず、一般的な絵画作品、点や線による表現を主にした作品、色ぬり遊び、水彩絵の具・パスなどを主にした作品、版による表現を主にした作品、用途をもったデザイン作品等の平面作品を募集した。
- 第21回展からは、「個人別部門」の出品点数に制限を設け、1校園ごとに各学年70点までとした。上記のグラフで応募総点数が下がっているのは、そのためである。「学級別部門」については、制限は設けていない。
- 第21回展からの「個人別部門」の応募作品は、一般的な絵画作品、点や線による表現を主にした作品、水彩絵の具・パスなどを主にした作品、はり絵による作品、版による表現を主にした作品、デザインによる作品等の平面作品を募集した。「学級別部門」については、新しい試みや研究的な作品を歓迎した。
- 第24回展からは、「個人別部門」の出品点数に制限を設け、1校園ごとに各学年60点までとした。
全大阪幼少年美術展は、昭和39年度に第1回展を開催以来、現在に至ります。本展覧会の応募作品数は、過去には13万点以上の応募点数を超える作品が集まり、現在は11万点前後の応募があります。応募校園数は760以上にものぼる全国有数の公募展となっている。
【全大阪幼少年美術展応募作品総点数・応募校園数の推移(50回迄の統計)】
第1回展では、大阪府内の保育所、幼稚園、小学校、中学校の園児・児童・生徒から、14,960点の作品応募があった。
その後、回を重ねるごとに、応募作品数が増え、第20回展では127,744点、第38回展では142,604点、第41回展では144,101点にも達した。少子化時代にもかかわらず、第50回展では130,955点の応募作品があり、全国でも有数の展覧会となっている。
第1回展の応募校園数は、保育所・幼稚園・小学校・中学校の計223校園であった。
第9~14回展は、個人別部門に加え、学級別部門が新設されたため、応募校園数は重複している。
第15~17回展は、個人別部門をA類とB類に分けて応募したため、A類・B類と学級別部門の校園数が重複している。
第19回展以降は、個人別部門と学級別部門を合わせた総校園数となっている。
審査について
第1回展審査は、19人の審査員により、大阪市立清水丘小学校で行われ、個人賞(推奨、特選、佳作、入選)が選出され、今宮戎神社賞をはじめとする各種学校賞が決められた。
現在の作品審査は、全大阪幼少年美術振興会の理事長、会長、副会長、副理事長をはじめ、監事・評議員・運営委員のほか、年度委嘱する元理事・元監事・元評議員・学識経験者等が審査員となり、一次審査・二次審査・本審査という過程を経て厳正に行われている。
個人賞の変遷
回 | 個人賞 |
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第1~9回 | 推奨、特選、佳作、入選 |
第10~43回 | 入選、佳作、努力賞 |
第44~49回 | 特選、佳作、努力賞 |
第50回 | 特別賞、特選、佳作、努力賞 |
学級賞の変遷
回 | 学級賞 |
---|---|
第9回 | 優秀、佳作 |
第10~19回 | 研究奨励賞、準研究奨励賞 |
第20~26回 | 指導優秀賞、指導奨励賞 指導努力賞 |
第27~50回 | 指導優秀賞、指導優良賞 指導努力賞 |
学校賞について
当初の学校賞は、「今宮戎神社賞、今宮戎神社文化部賞、大阪府知事賞、大阪市長賞、大阪府教育委員会賞、大阪市教育委員会賞、大阪学芸大学賞、大阪商工会議所会頭賞、教育美術振興会賞、その他優秀賞」であった。
その後、後援団体の追加があり、第50回展においては、特別賞として「全大阪幼少年美術展大賞、全大阪幼少年美術振興会賞」、学校賞として「大阪府知事賞、大阪市長賞、堺市長賞、大阪府教育委員会賞、大阪市教育委員会賞、堺市教育委員会賞、大阪教育大学賞、大阪芸術大学賞、NHK大阪放送局賞、毎日新聞社賞、産経新聞社賞、読売新聞社賞、大阪商工会議所会頭賞、国連協会関西本部長賞、日本教育美術連盟理事長賞、幼児造形教育連盟理事長賞、大阪児童美術研究会賞、公益財団法人教育美術振興会賞、奨励賞」が贈られている。
展覧会について
展覧会は、第1回展から大盛況で、15,000人に及ぶ鑑賞者が来場した。
こども文化センターでは、展覧会を4期に分け、作品を展示した。展覧会場では、審査員が作品の説明を行ったこともあり、保育所(園)・幼稚園・学校から保育士や教諭も多数鑑賞し、15,000人に達した。
その後、時代の変化とともに、展覧会会場は、左記のように変遷してきたが、毎年、好評を博している。
展覧会会場の変遷
回 | 会場 |
---|---|
第1回 | 大阪日本橋松坂屋百貨店6F |
第2~4回 | 大阪心斎橋そごう百貨店2階ギャラリー |
第5回 | 大阪心斎橋小大丸ビル4階ホール |
第6回 | 大阪市立常盤小学校(西日本図画工作教育研究大会) |
第7~16回 | 大阪芸術大学大阪芸術センター(阿倍野センタービル) |
第17回 | 大阪美術学校展示室 |
第18~21回 | 大阪市立こども文化センター(大阪市西区北堀江) |
第22回 | ユース・アート・ギャラリー |
第23~28回 | ユース・アート・ギャラリーと近鉄百貨店 |
第29~43回 | ユース・アート・ギャラリー(前半と後半に分けて展示) |
第44~47回 | CASOギャラリー(大阪市港区) |
第48~50回 | 大阪芸術大学 ほたるまちキャンパス(大阪市福島区) |
表彰式の会場の変遷
回 | 会場 |
---|---|
第1回 | 松坂屋百貨店6階食堂 |
第2回 | そごう百貨店7階食堂 |
第3回~第10回 | 今宮戎神社参集殿 |
第11回~第28回 | 全大阪幼少年美術振興会事務所 |
第29回~第40回 | 大阪市立恵美小学校 |
第41回~第48回 | 今宮戎神社参集殿2階 |
第49回~第50回 | 大阪芸術大学ほたるまちキャンパス |
全大阪幼少年美術展のロゴの誕生
第50回全大阪幼少年美術展を機に、大阪芸術大学教授末延國康氏によるロゴとマークが作成された。
ロゴのconsept
「大阪」の漢字を中心に構成している。大阪の文字を「丸ゴシック体」にし、全体のイメージの力強さを表し、丸くソフトにすることで幼稚園から中学校までの幅広い年齢層を表現している。大の一画(左端)のグラデーションは、大阪の発展、大阪児童美術振興会の発展と子どもたちの将来を表したものである。ALLの英字は、造形的な基本パターンの△・○・□の中にデザインし、「幼」△・「小」○・「中」□を表し、全大阪を表している。「OSAKA」は、小学校の英語教育や国際化の方向性を示したものである。色の三原色(赤)(黄)(青)の基本色を使い、幼稚園・小学校・中学校教育の原点を表している。
マークのコンセプト
「全大阪幼少年美術」のマークをデザインする。全大阪を基本概念としてとらえ、「英文字」でそのイメージが生かされるように考える。
「全」オールのAを全体の形にして構成する。・オールのLで大阪の英文字(OASAKA)を支えて全体の安定とまとまりをつける。
英文字「OSAKA」をいれることで大阪を強調する。
※「全」オール「A」を全体として、Aの中に子どもの顔を太陽のように配置して、上から大阪(OSAKA)を輝き照らしているように表現した。